B/W
2008年9月20日(土)04:02 投稿者 マギー
何度も言うが今やってるナイロンの公演は、白黒2チームに分かれている。
自分が本多劇場にいない日も、そこでは同じ物語が進んでいる、というのは不思議な体験だ。
この企画は本当に演じているほうは面白い。
稽古場で飲み屋で楽屋で、芝居のことが話題にあがることが本当に多い。
ときにそれは技術論に、対チーム論に、やがては精神論になっていく。
なんともエンゲキ人っぽい会話。普段、全然しないからたまにはいいかと思う。
随分、若く、青い会話にもなる。それをしているのはアッパー40の兄さん姉さんだったりする。
そんなん含めて稽古場から「この企画ならでは」のノリが漂っている。
んで、一昨日、自分の出ていないホワイトチームの初日を観劇。
いやーこれまた不思議な体験。
本当に違う。もちろん台本、演出的に違う箇所も多い。
が、そういうことじゃなくて、同じ台詞、演出のところにこそ感じる違いに圧倒される。
なんかもう、流れるリズムが、発せられるニオイが、全くもうホントに違うのだ。
ある一定の、まぁ、最低レベルの技術を備えた段階で、役者はやはりその人の持ってる人間性が表現の多くを支配する。
それが個性ちゅうヤツなのか。
「どっちに傾いているのか」、その集合がその人の個性なのだろう。
ヒトは相対する二つのものの間で、必ずどっちかに多少は傾いている。
陰か陽か。暖かいか冷たいか。
理系か文系か。体育会系か文化系か。
笑わせたいか笑われたいか。ツッコミかボケか。
ナルシストか恥ずかしがりか。モテてきたかモテないできたか。
ポジティブ思考かネガティブ思考か。こだわり派か無頓着か。
SかMか、告白するほうか、されるほうか。
みんなどっちかに少しだけでも傾いている。
この微妙な人としての傾きの配合が、カレーのスパイスのブレンド具合みたいに、その役者の技術を超えた『味』になる。
それが同じ台詞の響き方、説得力、面白み、ときには意味さえも変える。
そんなことが如実にブラックとホワイトの両方を見てダイレクトに入ってきた。
そんなことを、つまりは「役者たるや!」なんてことをツラツラ考えてしまうような、
そんな思考回路になるような空気が稽古場に楽屋に飲み屋に漂っている。
そんな機会に恵まれたこの企画、やはりやってるほうは面白い。
そんじゃ見るほうはどうなのか。
果たして客席にはなにが届いているのか。
きっと両方見ると、いろんなことが感じられると思いますぞ。
(写真はほろ酔いで帰る途中。新携帯のカメラにて)