ぴあぴあの実

2011年4月25日(月)00:43 投稿者 マギー

情報誌『ぴあ』(首都圏版)が休刊するそうだ。
『ぴあ』には思い入れも、思い出も大きい。
なんせ大学進学で上京を決めた理由が「ぴあが関西版より分厚かった」からだ。
関西では当時薄かった演劇ページも東京版には毎日どこかで山ほどの芝居が打たれている情報が載っていた。
「東京がエンタメの中心地!情報発信源!出ていかなアカン!」
期待を胸に独り暮らしを始めたとき、まず買ったのが『ぴあ』だった。

ネットのない時代、エンタメ系の情報ソースは『ぴあ』だった。
いつもカバンに入れて、映画や舞台のページを見ては「なんかオモロイもんないかぁ」と探していた。
20代は『ぴあ』が引き合わせてくれた作品との出会いがたくさんあった。
ジョビジョバを始めたばかりの頃、『ぴあ』は“読む雑誌”から“載りたい雑誌”に変わった。
旗揚げ公演の情報が一行載っただけで、皆で回し読みしたもんだ。
当時、オレが作・演出クレジットを本名にしていたのは、情報欄に一行しか載らないので
「ジョビジョバ/「ジョビジョバ大旋風」/マギー」
じゃカタカナばっかりでなんのこっちゃわからんから、せめて作・演出クレジットは漢字にしとこう、そんな“ぴあ合わせ”だった。

はじめは一行だった情報。次は三行の情報に小さな写真がついた。小躍りした。
その次は公演のオススメ記事と大きな写真も載せてもらえた。乱舞した。
その次は、演劇ページの巻頭のカラーページにドドンと載せてもらえた。ダンスパーティーをした。
ある年の新年号には『今年ブレイクしそうな50人』みたいなのにも選んでもらえた。いつのまにか“読む雑誌”から“載る雑誌”になった。
オレがそうだったように、『ぴあ』で知って「どんなもんや?」と劇場に来てくれるお客さんがたくさんいた。
それからも、ぴあテンに深夜番組やライブがランクインしたり、カラーのインタビューを4ページもいただいたり・・・。
ホントに毎回、最初に一行の記事が載ったときと同じように喜んでたもんだ。
表紙の似顔絵になることはついに叶わなかったが、ジョビジョバの歴史を語るのに『ぴあ』は欠かせなかった。

ソロになってからもU−1然りコトあるごとにお世話になってきた。
そんな『ぴあ』が休刊、と聞くと、あの頃の気持ちを思い出したり、は〜時代は変わったんだなぁ・・・とか、
なんだかいろいろ考える。そんだけオレん中では分厚い雑誌だったっす。

秋からは新しい雑誌として生まれ変わるらしい。
どんな雑誌になるかわからんが、また載っけてもらえたら小躍りしよう。

経過報告 本日55.8。もうひとふたふんばり。

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